あの日、あの時、あのローマ
- くりす
- 2019年4月20日
- 読了時間: 2分
ASローマを好きになった理由、人それぞれ違うと思います。
ここでは誰しもが記事の投稿者であり、読者でもあるブログ。
好きになったきっかけを語ったっていいじゃない、ロマニスタだもの。
というわけで皆さん初めまして、くりすと申します。ローマを追いかけて10数年、始まりはトッティという偉大なバンディエラでした。
そもそもEURO2000ぐらいからトッティは知っていて、アズーリ、つまりイタリア代表の10番としてのトッティでした。
トップ下で、いわゆる「ファンタジスタ」と呼ばれる観客を虜にする彼のプレーは自分も例に漏れず魅了されていたのです。
そんな彼が所属していたクラブチームこそASローマでした。
当時はセリエAといえばシェフチェンコ、カカ、ピルロらを擁したACミラン、海外サッカーといえばロナウド、ジダン、フィーゴらの銀河系軍団・レアル・マドリードでした。
いくらトッティが所属しているとはいえども、当時の私はローマに目もくれず、強豪チームを追いかけていたのでした…
しかし2007年、ふと手に取ったサッカー雑誌に衝撃を受けたのです。
「ん?トッティがCF?しかもワントップ?は?
いやいや、よく見るとペッロッタがトップ下?この2人一列上がってる?なんで?」
そう、戦術に革新をもたらしたとされるゼロトップシステムです!!
ゼロトップシステム…まずこの声に出して読みたい戦術
読み解けば読み解くほど、試合を観れば観るほど、深く熱い戦術でした。
マンシーニという快速アタッカー、ボール奪取に優れた奇襲性の高いトップ下ペッロッタ、南米特有の優れたテクニックとチームプレーに徹するタッディ
トッティが前線でボールを持つと流動的に動き回りスペースが空く。
そこに3人のアタッカーがなだれ込む、ディフェンス時にはハイプレスを仕掛ける…
まさにトッティを中心としたシステマチックな最高戦術でした。
当時世界で1番おもしろいサッカーをすると言われたこのローマ、後のスペイン代表やバルサの偽9番システム(意味合いは違えど)の新しい風を巻き起こしたのは間違いないと言えます。
ローマってこんなにおもしろいチームだったのか!
この日以来、くりす少年はロマニスタとなったのでした。
ここまで駄文を読んでいただきありがとうございます!!!!私がロマニスタになったきっかけはゼロトップシステム時代のローマを知ったから、です!
皆さんの【あの日、あの時、あのローマ】を聞ければ幸いですm(_ _)m
私のツイッターアカウントより
当時のローマのフォーメーションです。
https://twitter.com/D_D_assailant/status/1119496010361741312
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